ノイローゼ?認知症? 高齢者には、認知症の判断をくだすだけで寄り添うことはないのだろうか?
悩みを抱えて過ごすのはつらいですね😎トライトライです。
悩みだすと
そのことばかり考えてしまうので
行動に移して解決することであれば
即行動するようになりました。
特に体の異変とか・・・
高齢の親が
- 物忘れが激しくなり
- 置いた場所を忘れたり
- 過去の夫婦関係で苦しんだり
- 家政婦のように扱われることに不満を抱いたり
- 同居している子供の世話で疲れたり
- 浮気をしていると悩んだり
これだけの悩み・苦しみを抱えていて
精神的にまいってもおかしくはない
50代の私だって
自分の置かれている現状から、現実から
逃げ出したくなる
まずは、精神的なケアが必要かな?と思い、
心療内科に問い合わせをして予約。
👩⚕️「受診の目的は?」
😎「家庭のことで少し精神的に滅入っているようで・・」
👩⚕️「年齢は?」
😎「80代です」
👩⚕️「高齢なので、痴呆も考えられるので・・CTもとってきてください」
😎「ハイ、わかりました」
言われるままに手配し予約完了。
心療内科受診。
現在の精神状態や日常生活を説明。
- 問診(聞き取り調査)
- 診察
- CT状態の説明
- 血圧測定、尿検査
- 次回予約
診察結果
軽い認知症
- 短期間の記憶の薄れ
- 言葉が出てこない
- 質問とは違う回答をする
等々
こういうものなんですね。
症状は分かった。
年齢、脳の状態、認知症
「記憶をつかさどる脳の部分がやせてきている」
これが結論なんだろうか?
心に寄り添うということはできないのだろうか?
「お金をとられた」
「浮気している」
「家政婦のような生活につかれた」
この言葉の奥に苦しみはないのだろうか?
認知症という病名で診察を続けるということなのだろうか?
過去が
経験が
今を作っているのなら
その部分に目をむけて
寄り添うことも必要なのではないのだろうか?